過渡期を生きる精神の記録
森鴎外の『青年』は、単なる青春小説でも、流行の風俗を描いた小説でもない。それは、明治という転換期において、「近代的な自我」はいかにして生きるべきかという切実な問いを、具体的な人間関係の中で提示しようとした「啓蒙」の書である。
鴎外は、主人公・小泉純一や大村荘之助といったキャラクターたちに、当時の知識人が抱えていた苦悩や思想を背負わせ、彼らを対話させることで、論理だけでは割り切れない人生の難問に対し、進むべき一つの指針を示そうとした。本稿では、物語の奥底に流れる精神の軌跡を辿る。
「新しい人」の定義 ― 破壊と建設の弁証法
「破壊」のあとに来る虚無
明治40年代、自然主義の影響を受けた知識人や青年の間では、従来の道徳や因習を否定することは一種の知的流行であった。 しかし、鴎外はそこに潜む陥穽を鋭く指摘する。
純一と大村の対話(第8章)において、古いものを壊すだけの態度は「消極的」であると断じられる。
「新しい人と云いましょう。新しい人はつまり道徳や宗教の理想なんぞに捕われていない人なんでしょうか。それとも何か別の物を有している人なんでしょうか」 微笑が又閃く。 「消極的新人と積極的新人と、どっちが本当の新人かと云うことになりますね」 「ええ。まあ、そうです。その積極的新人というものがあるでしょうか」 微笑が又閃く。 「そうですねえ。有るか無いか知らないが、有る筈(はず)には相違ないでしょう。破壊してしまえば、又建設する。石を崩しては、又積むのでしょうよ」
ここで語られる「石を崩しては、又積む」という徒労にも似た建設の意志こそが、ニヒリズム(虚無)を超克する鍵となる。 ただ因習から逃れるだけの「消極的新人」は、自由の刑に処された迷子に過ぎない。
鴎外は、破壊そのものにカタルシスを見出す当時の自然主義的な風潮に対し、あえて「再建設」の困難さを説くのである。
「笑いながら縛につく」という逆説
では、破壊の後に自ら規範(ルール)を作るとはどういうことか。 それは再び何かに「縛られる」ことではないか。
純一のこの問いに対する大村の回答には、後に「諦念(レジグナチオン)」へと至る鴎外の冷徹なリアリズムが表れている。
「哲学が幾度建設せられても、その度毎に破壊せられるように、新人も積極的になって、何物かを建設したら、又その何物かに捕われるのではないでしょうか」 「捕われるのですとも。縄が新しくなると、当分当りどころが違うから、縛(いましめ)を感ぜないのだろうと、僕は思っているのです」
さらに後の章(第11章)で、大村はこの論理をより明確に展開する。
「因襲というのは、その縛(いましめ)が本能的で、無意識なのです。新人が道徳で縛られるのは、同じ縛(いましめ)でも意識して縛られるのです。因襲に縛られるのが、窃盗をした奴が逃げ廻っていて、とうとう縛られるのなら、新人は大泥坊が堂々と名乗って出て、笑いながら縛(ばく)に就くのですね」
「無意識の服従」ではなく「意識的な選択としての服従」。
カント的な自律(Autonomy)の思想を背景にしつつも、「笑いながら縛につく」という表現には、鴎外特有の余裕とアイロニー、そして悲壮な覚悟が込められている。
「諦念(レジグナチオン)」は、一般的に「あきらめ」と訳されますが、鴎外においては「現状や運命をありのままに認め、その中で心の平安や自由を見出すこと」という積極的な意味を持ちます。 『青年』には、その前段階となる思想の流れが明確に表れています。
輸入された「個人主義」の変容 ― 拊石の演説をめぐって
日本において「小さくなった」イブセン
第7章、平田拊石(モデルは夏目漱石)による「イブセン論」の演説は、西洋思想を受容する際の日本人の精神的土壌への痛烈な批判である。
ここでは、西洋の深刻な思想的苦闘が、日本においては単なる「流行」や「不満の吐露」程度に矮小化されてしまう現状が嘆かれている。
鴎外(および作中の拊石)は、思想がファッションとして消費される軽薄さを憎み、その深淵にある「自己」の問題に立ち返るよう促す。
「イブセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本へ持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。(中略)何もかも日本人の手に入(い)っては小さいおもちゃになるのである」
明治の急速な近代化の中で、人々は「自由」という新しい果実を求めて浮足立っていた。 しかし、鴎外は冷ややかに見抜いている。 流行に従うことは、個として自立するのではなく、新しい集団(徒党)に埋没することだという皮肉を。 「『個』を確立できない者は、最新の『群れ』を探して彷徨う」 本当の自由は、既存の権威(国家や因習)を否定することではなく、それらと対峙し、引き受けた上で、なお損なわれることのない「自分」を確立することにある。
放縦ではない、厳粛なる「自律」
拊石は、イブセンの個人主義が日本において単なる「因習の破壊(放縦)」と誤解されていることを指摘し、その個人主義の本質とは「自己の構成する倫理」への厳格な服従にあると説く。
「若しこの一面がなかったら、イブセンは放縦(ほうじゅう)を説くに過ぎない。イブセンはそんな人物ではない。イブセンには別に出世間的自己があって、始終向上して行(ゆ)こうとする。それがBrand(ブラント)に於いて発揮せられている。イブセンは何の為めに習慣の朽ちたる索(つな)を引きちぎって棄てるか。ここに自由を得て、身を泥土(でいど)に委(ゆだ)ねようとするのではない。強い翼に風を切って、高く遠く飛ぼうとするのである」
そして、結論として以下の定義を与える。
「とにかく道は自己の行(ゆ)く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉(じゅんぽう)する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言(いちげん)で云えば、Autonomie(オオトノミイ)である」
この演説は、当時の自然主義文学者たちが陥りがちだった「本能の肯定=自由」という安易な図式に対する、強烈なアンチテーゼとなっている。真の個人主義とは、他者からの規律を排する代わりに、より厳しい規律を自らに課すこと(Autonomie)に他ならない。
「利他的個人主義」の提唱 ― 無政府主義との対決
エゴイズムと個人主義の峻別
第20章において、大村は「個人主義」と「利己主義(エゴイズム)」を明確に区別する必要性を説く。
彼は、ニーチェの思想の「悪い一面」としての「権威を求める意志(他者を踏み台にする思想)」を批判し、それが蔓延すれば社会はアナーキズム(無政府状態)に陥ると警告する。
「利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互にそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論を須(ま)たない」
自我の城郭と社会参加の論理
では、鴎外の目指す個人主義とは何か。それは「利他的個人主義」である。 これは、自己を犠牲にして滅私奉公することではない。
自己(自我の城郭)を堅固に守り確立した上で、他者や社会(国家、家族)といった価値を、盲目的に受容するのではなく、自らの意志で深く理解し、納得する(領略する)態度である。
この論理によって、鴎外は「近代的な自我」と「国家への忠誠」という、一見矛盾する二つの命題を統合するための「新しい道理」を発見した。 西洋の自由を受け入れつつも、日本の社会システムから単に脱却(エスケープ)するのではなく、あえてその中に留まること。 そして、忠義や孝行といった旧来の価値観を、強制された義務としてではなく、自らの理性が選び取った「利他的な」生き方として再定義すること。
これこそが、利己主義(エゴイズム)に陥らず、かつ国家に盲従もしない、第三の道(アルトルイズム)なのである。
「利他的個人主義はそうではない。我という城廓を堅く守って、一歩も仮借しないでいて、人生のあらゆる事物を領略する。君には忠義を尽す。しかし国民としての我は、昔何もかもごちゃごちゃにしていた時代の所謂(いわゆる)臣妾(しんしょう)ではない。(中略)忠義も孝行も、我の領略し得た人生の価値に過ぎない」
アポロンとディオニュソス ― 生の肯定と美学的距離
プラトン『パイドロス』における「魂の馬車」の比喩
ここで、鴎外の思想をより立体的に理解するために、プラトンの『パイドロス』における「魂の比喩」を導入したい。プラトンは魂を、一人の御者(理知)と二頭の有翼の馬に例えた。
- 良い馬(白馬): 節度があり、御者の命令によく従う(気概・誇り)。
- 悪い馬(黒馬): 欲望に満ち、暴れやすく、鞭を打たねば従わない(欲望・衝動)。
人間の魂は、この二頭の馬を御者が必死に制御しながら、天上の「真理(イデア)」を目指して駆け上がろうとする苦闘の場である。 御者が手綱を放せば馬車は墜落し、逆に馬の勢いがなければ馬車は進まない。
この「御者」の役割こそが、大村の言う「アポロン的」な理知の制御であり、暴れる「黒馬」のエネルギーこそが「ディオニュソス的」な生の衝動と言えるだろう。
鴎外は、黒馬(衝動)を殺すのではなく、それを御者(理知)が巧みに操ることで、初めて高みへと飛翔できると考えたのである。
ショーペンハウアーを超えて
第20章において大村は、ショーペンハウアー的な「生の否定(遁世)」を批判し、苦悩を含んだ生をそのまま肯定するニーチェ的態度を支持する。
「今度は彼岸がお留守になったね。その時ふいと目が醒めて、彼岸を覗いて見ようとしたのが、ショペンハウエルという変人だ。彼岸を望んで、此岸を顧みて見ると、万有の根本は盲目の意志になってしまう。それが生を肯定することの出来ない厭世(えんせい)主義だね。そこへニイチェが出て一転語を下した。なる程生というものは苦艱(くげん)を離れない。しかしそれを避けて逃げるのは卑怯(ひきょう)だ。苦艱籠(ご)めに生を領略する工夫があるというのだ。What(ホワット)の問題をhow(ハウ)にしたのだね。どうにかしてこの生を有(あり)のままに領略しなくてはならない」
ここでは、人生の目的や意味(What)を問い続けて虚無という袋小路に陥るのではなく、与えられた生をいかにして(How)主体的に引き受けるかへの転回が語られている。苦艱(苦しみ)を取り除くのでもなく、そこから逃げるのでもなく、苦しみを抱えたまま、その生を深く味わい尽くすこと。これこそが、殖産と資本の喧騒が精神を追いやろうとする時代にあって、なお理性を手放さずに生を肯定しようとする、知識人が悩みの末に導き出したジンテーゼなのである。
熱狂と冷静の二重生活
生の苦しみに飛び込みながら、同時にそれに溺れないこと。この極めて困難な生の技法を、大村は「アポロン」と「ディオニュソス」という概念を用いて説明する。
「所詮覿面(てきめん)に日常生活に打(ぶ)っ附かって行(い)かなくては行けない。この打っ附かって行く心持がDionysos(ジオニソス)的だ。そうして行きながら、日常生活に没頭していながら、精神の自由を牢(かた)く守って、一歩も仮借しない処がApollon(アポルロン)的だ」
現実に没頭する熱狂(ディオニュソス)と、それを冷徹に見つめる理知(アポロン)。
この二つを同時に維持することこそが、鴎外が理想とした「観照的生活」であり、芸術家の在り方であった。 これは、第6章で純一が大村に対して抱いた「流れの岸の欄干」というイメージ――激流に身を浸しながら、決して流されないための支え――とも共鳴する。
結論 ― 「霊的自然主義」への止揚
自然主義の限界
主人公・純一は当初、自然主義文学に憧れを抱いていたが、詳細な描写や暴露に終始する日本の自然主義(大石路花=正宗白鳥モデルなど)に飽き足りなさを感じ始める。第11章で彼が読むユイスマンスの小説(『大伽藍』あるいは『出発』が下敷きとされる)についての思索は、鴎外の文学論的マニフェストである。
「材料の真実な事、部分部分の詳密な事、それから豊富で神経質な言語、これ等は写実主義の保存せられなくてはならない側である。しかしその上に霊的価値を汲(く)むものとならなくてはならない。奇蹟(きせき)を官能の病で説明しようとしてはならない」
二つの道の調和
現実をありのままに描く(ゾラの道)だけでは不十分であり、そこに精神的な次元(空中の道)を統合しなければならない。
「人生に霊と体(たい)との二つの部分があって、それが鎔合(ようごう)せられている。寧ろ混淆(こんこう)せられている。(中略)一言(いちごん)で言えば、ゾラの深く穿(うが)って置いた道を踏んで行(ゆ)きながら、別にそれと併行している道を空中に通ぜさせたい。それが裏面の道、背後の道である。一言で言えば霊的自然主義を建立するのである」
「霊的自然主義(ル・ナチュラリズム・スピリチュアル)」。 これこそが、科学者(軍医)でありながら文学者であった森鴎外が到達した、物質と精神、科学と芸術の合一への意志であった。
それは、どちらか一方を切り捨てるのではなく、実証的な科学の目と、形而上の精神を希求する魂の双方を、一人の人間の中で極限まで対峙させ続ける試みでもあった。
この「矛盾を生き抜く知性」こそが、明治という激動の時代において、国家の要職を務めながら文学の頂点を極めた、森鴎外という巨人のエッセンスである。
純一という未完の「青年」を通じて語られたこれらの思想は、明治という時代の知的格闘の精華であり、現代においてもなお、自己構築のための強靭な足場(欄干)となり得るのである。